パン・コモンセンス

 愛すべき皆様。僕はこの前クイズ番組を見てて思いました。ああいうクイズを考える人ってすごいなって。クイズって言っても例えば知識が必要なやつとかじゃなくって、頭の回転?捻り?でわかっちゃうようなそんなクイズです。なぞなぞ、って言った方がいいのでしょうか?例えば「タヌキが対価を求めてきた!それはなんだ!」みたいなやつ。「タヌキ=た抜き!対価のたを抜いてイカ!対価はイカ!」みたいなやつ。そういうのを考える専門の人っているのかな?それは置いといて、今日は昔ながらのクイズについて考えていきたいと思います。

 パンはパンでも食べられないパンはなーんだ? 誰もが一度は聞いたことある簡単なクイズです。だから誰でも答えを知っていると思います。でもよく考えてほしいのです。この問いかけに真摯に向き合ったことはありますか?安易に答えを出してはいませんか?今一度よく考えてほしいんです。この問いかけの本当の意味を。「いや私答え知ってるし・・・」と立ち止まるのではなく是非とも可能性の世界へ飛び込んでほしいんです。願わくば僕と一緒に今日この場所で飛び込んでほしいです。

 このクイズで注目するべきは「食べられない」の意味です。順を追ってみていきましょう。

 

①物理的に食べられない説
 これは食べることは不可能という意味です。ただここで問題となってくるのは前提として「パンはパンでも」という文言があること。一般的なパンとは食べることができるもの。じゃあ物理的に食べられないパンはそもそもパンなのか?例えば鉄のパン。これは食べれれない。こうなってくると問題となるのは鉄のパンは果たしてパンなのかという問題ですよね。パンそのものの定義の問題となってくるんです。パンと呼ぶ「それ」は小麦粉などを練って焼いて食べられるものでなければパンと呼んではいけないのではないでしょうか。食べ物であることがパンの条件であるならば、鉄のパンはパンではない。じゃあ物理的に食べられない説なんて意味ないじゃん!って諦めちゃいそうになった皆さん安心してください。確かに食べられないけれど、同時に私たちが鉄のパンを見てパンと認識できるのも事実です。例えば食品サンプルなんてわかりやすいと思いませんか。食品サンプルはいわばパンの偽物。でも食べてみるまでそれが本物のパンかそうでないかは判断できません。ならばそれはまだその時点ではパンと呼ぶことができるのではないでしょうか。たぶん僕は本物そっくりの食品サンプル(パン)を「食べてみてよ」と渡されたら、かじってこういいます。「食べられないパンじゃん!」って。

 

②理由があって食べられない説
 食べられないというのはパンそのものが食べられないのではなく、パンの中でも食べられないパンがあると考え方です。1番の説に比べて比較的わかりやすいような気がします。例えばつぶれてしまった老舗のパン屋さんのパン。その味はもう食べることができません。大好きだった祖父母が作ってくれたパン。同じレシピをもってしてもきっと同じ味にはなりません。そういったある時は食べることができたけれど、ある理由で今はもう食べることができないパン。他にももっと個人的な理由も考えることができそうです。例えばチョコが嫌いな人はチョココロネをもちろん食べられません。あんこを嫌いな人がアンパンを食べますか? そういった意味で食べられないという言い方ができるのではないでしょうか。こうなってくるとこれはもはやクイズではなくコミュニケーションなんじゃないかな。「〇〇君ってパン好き?」「うん好きだよ、でも食べられないパンがあるんだ、なーんだ?」ちなみに僕は食べられないパンはありません。

 

③大きなストーリーの一部である説
 光歴350年。世界は人と魔族による熾烈な戦役の最中にあった。中央大陸から領土を広げようとする人間。自らの領土を守るべく中央大陸へと攻め入る魔族。両陣営による一進一退の攻防は長きにわたり続いた。しかし獣人族の住まう北方大陸において、鉱石「シュトーレン」の発掘が確認され、それ以降状況は一変した。シュトーレンを加工することで平和を愛する獣人族はこれまでになかったグリッシーニと呼ばれることになる協力な武具を作り出し、それを抑止力とするような形で人魔戦争は実質の終わりを告げた。そして時は過ぎ光歴420年(獣人歴70年)、ブール村に住む平凡な兄妹、アインバック・パンとその妹ロゼッタが大規模な魔力災害に巻き込まれ北方大陸へと転移してしまう。寒さをしのぐために入った洞窟で見つけたのは、否見つかってしまったというのが正しいであろう。それは巨大な闇、そしてその中から覗く眼であった。危険を感じたロゼッタは兄を突き飛ばし、その刹那ロゼッタは闇に「食べられてしまった」。次はお前の番だとでも言いたいのか、闇はこちらにゆっくりと近づいてくる。アインバックは諦めて目を閉じるが、妹と同じ運命をたどることはなかった。恐る恐る目を開くと、その眼前に広がっていたのは闇を切り裂く「光」であった。その光はいつか図鑑で見た事がある鉱石「シュトレーン」が放つ光に似ていた。その光の中心にいたのは女の子。女の子はアインバックを見るや否や「間に合わなくてごめんなさい。私はグリッシーニ。あの子を助けにいきましょう。」と言った。アインバックは彼女を見ることができなかった。それは彼女が眩しすぎた訳でも、彼女の力の大きさに慄然としていた訳でもない。ただ彼女が裸だったからだ。少年の理性と妹の行方とついでに世界の命運はいかに!?笑いあり涙ありの長編コメディサスペンスラブファンタジー推理ミステリー純文学が、今始まる! 食べられないパンはアインバックです。


 ここまで様々な可能性を考えてきました。いろいろな説を考えてたけど、もちろんこれ以外にも様々な考え方はあるだろうなって思います。ただこの記事を通して言いたかったことは考えることの大切さです。多面的な物事の見方というのは何においても大切ではないでしょうか。すぐに思考停止してしまうのではなく、一度立ち止まって考えてみる。そのことの大切さを少しでも伝えられたのであれば、この記事は無駄ではなかったように思います。大切さを伝えようなんておこがましいかもしれないけれど、少しでも素敵だなって思ってもらえたなら幸いです。立ち止まることで今まで知らなかった世界、新しい可能性がきっと見つかるはずです。ここまで読んでくれた愛すべき暇人の皆様にもう一度。パンはパンでも食べられないパンはなーんだ? 答えはフライパンです。